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本題のキハ181系からは外れますが、7:21 最近の2エンジン回帰について。私見ですが、一番要因として大きいのがエンジンのコンパクト化・大出力化が進んだ事が大きいのかなと。観光用大型バスでは未だに空調の為に電源用の別エンジンを積んでる車種もあります。それだけサービス電源の問題はなおざりにはできない大きい要因なんですが、カミンズ社やコマツのエンジンを採用し始めた辺りからエンジンのユニット化が進み一つのエンジンユニット(と付属のオルタネーター)で十分な出力と電力が供給される訳ですから空いた床下のスペースを性能アップの為に使おうとなるのは自然な流れですね。さらに2エンジン化で見逃せないのがエンジン二基を中央に寄せそれぞれ逆向きに搭載することで台車へと延びるプロペラシャフトがそれぞれ逆回転となる事。コレによってエンジンが生み出す反力が解消されることで気動車の振り子機能が初めて実現できた事ですね。エンジン縦置きの車やバイクに乗ってる方ならお分かりかと思いますがアクセルを大きく開けて加速したときなどに車体かどちらか一方に大きく傾く現象が生じます。エンジンパワー発生がもたらす逆作用のイタズラですが、これが解消されることで初めて気動車への自然振り子装置搭載が可能になった訳です。JR四国2000系はその意味で歴史的名車と言えるでしょう。現在JR東海が電気式ディーゼル特急車の開発を進めてますがこれがディーゼルのトレンド転換になるのかどうかが楽しみです。
もう一つ、2エンジン車は片方がエンジントラブルを起こしても、もう片方が無事なら走れるので、異常の時にも強いんですよ
エンジン自体の高性能化もそうですし変速機も小型多段化が進んだこと、冷房も直結式のものが使えたり編成も電気を喰う食堂車を入れなくなったなど事情も色々ありそうですね。単純に大馬力機関1機にするとパワートレイン全部を強化し専用品にしないといけないので量産品を2個使う方がコスト面でも有利になりそうな感じです。もっとも2エンジン回帰と言っても出力の必要な特急車が2エンジンというだけでほとんどの普通気動車は1エンジンですが。
車好きで鉄道も興味あるから、こういう風に他人に分かりやすく解説できるの羨ましい…
結局国鉄は制式エンジンに拘り過ぎて直噴化・過給機化が遅れて非力なエンジンしか作れなかったんですね。
肉声迷列車とは驚きました。エンジンと変速機の解説が分かりやすかったです。
こういうクルマと鉄道の両方に詳しい方の動画は貴重だと思います。自分は鉄道好きの先輩に「国道が好きなやつなんて初めて見たわ」とか言われましたが。
(笑)…私の伯父が…重機のカミンズエンジン専門整備士で…☜2級等の整備士検定試験の試験官です…ドイツカミンズ社のエンジンは…一度輸入時に全バラしてバランス取りしてやらないと黒煙吐いて使い物にならないとボヤいてました日本のエンジニアの繊細な技術は世界に誇れると思いますありがとうございます
@@ひめちく 昔「カミンズ積んでる!」って自慢してた鉄道会社あったなぁ…
昔鉄道好きの酷道好きだったな…ま、要するに全員がそんな奴ではないと言うこと。今は車好きの中でメカ好きになったけど。
大学のとき鉄研だったけど結構クルマ🚗好きいたよ!(当時私は鉄道一筋)
平坦路では速い。しかし平野部は人口も多いので早期に電化されて要らない子になってしまった。東海道/山陽本線で新快速から必死に逃げる高速通過時の過給機音が最高にカッコ良かった。
まあ新快速自体下手な特急より高速ですし、最高時速もキハ181の120キロメートルvs新快速の130キロメートル、ですからね。もっとも私は芦屋駅で遅れていた「スーパーはくと」を新快速が退避する場面に出くわした事がありますがね。
でも、キハ80系よりも長生きしたけどね…
@@psychedelicraspberry1457 あんなポンコツと181系を同列に語ること自体がおこがましい
昔、四国で宇和島から宇和海運用の181系に乗りましたが、気動車がこんなに高速で走行するのに驚きました。
80系の食堂車が附随車キサシ80(電源エンジン搭載)なのは初期製造分だけで、キハ82と同時に走行機関2機関(電源は先頭車から受電)のキシ80に変わってますし、キサシも後にキシ化改造されてます。
初期製造分とは「はつかり」用で、36-10で登場した「白鳥」等がそれ以降です。
18分間、全然長く感じなかったです。自分には分かりやすかったです 👍
ラジエーターについて補足ですが、冷却フィンが枕木方向となっており、走行風が一部のフィンにしか当たらないことも影響したようです。本来ならばレール方向にして走行風が前から後ろへ抜けるようにしなければいけないのに表面積だけを考えてしまったようです。
ラジエーターですが、根本的に屋根上に放熱器を設置した時点で致命的だったかと思います。エンジンからの配管が長くなってしまい、冷却水の流量不足に悩まされたそうです。(エンジン換装前のキハ66・67も同様)結局、床下の放熱器をメインで使用し、水温が70度以上になると屋根上の放熱器で冷却を行なっていました。ですが、見た目はかっこいいので私的には評価は高いですw
夢中で見てしまった。男はこういう話し好きだからな。
東北本線を485・583系と全く同じダイヤで爆走し、そのまま急勾配の板谷峠を登る運用をやったものだからキハ181時代のつばさは故障が多発して板谷峠の自力走行を諦めて補機運用を復活させました・・・そして、中央東線急行完全電車化で捻出されたキハ65の受け入れを秋田区が拒否(DML30系エンジンに苦しめられたトラウマから)し、そのお蔭で出羽・おが・ざおうが廃止まで非冷房車オンリーになったという結果も生んだと。
で…☜キハ181とキハ65は仲良く四国に来て…☜整備士の手を焼き続けることになりました…適正化の名のもとにデチューンされおとなしくなった後も機関不調連発で…☜山岳路線の土讃線(当時土讃本線)に導入された後…☜キハ185や2000系気動車…2700系気動車と…☜のちの後続車両開発の反面教師となりました…ありがとうございます
板谷峠を自転車並みの速度で登るキハ58の急行に乗ってみたかったですね。(*´・ω・)
@@クモハ165 板谷の33パーミル登りで、キハ58系ざおう「キハ58✕4両+キロ28✕1両+キハ28✕1両」では速度計の針は18Kmに貼り付いていました。下りになると一気に65Kmオーバーに。
電化は最後、電化後も急行は非冷房の気動車、単純に奥羽本線山形-秋田間は冷遇されていると思っていた。キハ65を拒否していたとは知りませんでした
子供の頃、つばさで親の実家に帰省する際、福島駅を出た後の登り右カーブで先頭の補機を見るのが楽しみでしたが、こんな裏話があったのですね。峠を過ぎ、米沢盆地に入るとエンジンのうなりがスッと消えて(←これがこの動画でいう「直結」ですね)車内にレールのジョイント音だけが響くのを合図に、家族で降車の支度をはじめたものです。
庭坂の大カーブといわれた所ですね。この辺りから33.3パーミルの登り勾配が峠駅付近まで続き、当時定時運行に苦労された国鉄の方々には申し訳ないけどファン的には一番の見どころでした。自分はもう少し先の新庄でしたが毎年夏休みの一大イベントでした
@@おしげ-b6k 早い時間の上野発ですと、ちょうど昼頃にあのカーブを登り始めるので、当時小4だった兄と二人で食後も食堂車でねばっていたら、ウェイトレスさんにやんわりと退席させられたのも良い思い出です。
凄くわかりやすい説明で面白いです。DC大好きなんでまた観ます。
91系は屋上に油圧ファンを備えて冷却効率を向上させていたけど181系は特急用車両なので高速運転に備えて屋根上の重量を少しでも減らして低重心にしたかったのだろうな。
4:48イメージ画像にあるキハ183系(182形)0番代のDML30HSIが直噴式となっていますが、正しくは予燃焼式の最終型になります。直噴式に改良されたのは、国鉄最末期にキハ183系500番代へ搭載されたDML30HSJと、インタークーラー装備でキハ182形550番代に搭載されたDML30HZの2機種です。非力ながら堅実なDML30HSI、現在でも生き残りが走るDML30HSJ、ハイパワー過ぎて炎上したDML30HZ(1両だけ残存)と、キハ183系になった後の続編も見てみたいです。
失礼しました。これは勉強のしがいがありそうですね!知識がたまれば続編も🤓
板谷峠を大馬力を駆使して単独で登りきるという発想自体はそう間違って無かったかもしれないですが、悪条件もあり、結局最後の頃には12両から1両減車されてましたね、冷えないラジエター、一応オーバーヒート対策でラジエターに水を噴霧する装置を付いてたようですが、効果は・・。確かに平坦線を走る分には申し分ない性能でした、発進時の低速域以外は電車より加速してましたし余裕がありました。技術の進歩は早くて、カミンズ等(実は輸出用にはこちらが使用されていた)より高性能なエンジン積むようになったら小型の気動車でも300㎰を出してますね。
板谷越えでは、フルノッチ5分という制限が課されたために定時運行が不可能となりキハ80系同様EF71のお世話になる羽目になりました。中間に組み込まれたキハ181の速度計を見ていると、直線では33パーミルを60Km弱ぐらいの速度で登っていました。
10:22ラジエーター設置ヶ所の1例として古い車両でキハニ5000形ガソリン気動車は両前面上部の2箇所にラジエーターが有って自動車の様に進行方向からの走行風を利用して冷却する様になっていましたね。
キハ181系での反省から、キハ183系は床下ラジエーターに戻ったのだろうな。
キハ181、かっこよかったけど、そんな問題があったのですね。面白い動画でした。
JR化以降エンジンと変速機を交換すればよかったんだろうけど、旧形式車にそこまでするくらいなら新車入れようということだったんだろうね。
他の方も指摘されておられましたが、夏の板谷峠でのオーバーヒート連発で、一両減車のうえ、補機の助けを借りることになりました。当時の鉄道雑誌もその原因を説明しておらず、長年の疑問が解決しました。ありがとうございます。
鉄道のメカニックに踏み込むなんてすっごく面白い動画でした!
キハ181系は迷列車とは思わない🤨武骨な男性的車輌で好きな車輌でした。
最近の気動車がエンジン2基載せになっているのは、車体傾斜装置の影響もあるのかもしれません。2台のエンジンを逆向きに回転させることで、トルクの反作用を相殺することができますので。
子どもの頃、後発で同じエンジンを積んだ183系気動車が440psとデチューンされていたのが不思議でしょうがなかった
昭和50年に製造され福岡県の直方気動車区に配置されたキハ66 67も同系列のDML30HS系エンジンを440psに出力ダウンにしていました、因みに現存の車両はその後エンジン交換されています。
@@ぶの-e8q さんキハ67系は「車内で会話が成立しないw」と茶化されてしまうほどうるさかったのでそれを特急車輌に載せられる程度には改善した辺りは当時の国鉄なりにだいぶ頑張ったんだろなぁ…という気はします
うーむ、コレでキサシ181を耐寒耐雪改造して183系組み込み食堂車確保しようとしたらアンダーパワーになりそうだな。更にキハ91系量産型急行キハ151系造った場合特急型キハ181系と同じ問題だしそうだ
@@corjioono7463 キハ183とキハ184は走行用エンジンが220馬力しかないので、181系と比べてますますアンダーパワー感は否めないでしょうね。キハ184を作るのを止めて食堂車に発電用エンジンを積めば少しはマシかもしれませんが
キハ183系0番台に求められていたのはスピードではなく、あくまでも全国からかき集められて酷寒地で酷使されていたキハ80系の替わりでありました。当時の道内は設備由来で主要幹線でも最高速度は内地より抑制されていました。キハ80系は内地とほぼ同じ仕様で使用した事により、冬季において乗客と乗務員からの苦情は最たるもので、雪が車内に侵入したり、前面貫通路からの隙間風で保温が出来なかったり、窓ガラスからの漏水や水回りのトラブルが頻発でした。連絡船からの乗り継ぎで渡道する事が庶民では主流でしたので特急列車の需要は大きくキハ80系置き換えは話題になるものの、キハ181の不具合とそのままでは構造的に持ち込めない酷寒地ならではの環境で進展せず、キハ66/67とキハ40で新系列発動機にある程度信頼性が確保出来た事で漸く実現出来たのです。スピードを求め始めたのは民営化を控えて国鉄が置き土産で遺してくれた500番台以降ですね。
大変わかりやすい動画でした。複雑で大変かと思いますがキハ183についてもよろしくお願いします。
鉄道用のディーゼルエンジンの例えでP-51やBf109のエンジン出してくるの好きすぎてチャンネル登録しましたw僕も車、鉄道、船、飛行機と好きなのでこのチャンネルめちゃくちゃ楽しいです。
この後、キハ65,66,67からキハ183と、DML30系がどのように欠点を克服し、進化していったのかも解説してほしいです。
鉄道と四輪、二輪等他の乗り物に関連付けて説明されてるところがとても分かりやすく具体的で良いですね😊
しかも、VTR FIRESTORMという希少なバイク。V型の場合、どこにラジエターがあっても、後ろのシリンダーへの冷却は問題になりますね。250のVTRは、そこそこ売れていたのに、販売店の方が整備しにくいって評判で落ちちゃったとか。
こうやって見ると興味を持っていた若いころをおもいだします。気動車は自動車とダブる所が多く、どうして自動車で確立した技術を取り入れないのかな。と疑問にも思ってたことを思い出しました。楽しい動画でした。
え?18分もあったの。面白くて時間は気になりませんでした。
180度V12はフェラーリの365GT4BB~テスタロッサが積んでますねあのクルマも巨大なエンジンに苦労したクルマです
ついに来ましたか。待っていました。
数年前まで鉄道のエンジンを整備してました。DML13HSでしたけどラジエーターが新品の時の性能しか考えてないなーって印象でした。余裕をもって設計してない。夏場の35℃ですぐオーバーヒートで空回転になり力行不能です。駅のホームでは送風機にふたをする形になって全然冷えないので隙間からホースで水ぶっかけてました。
夏場のオーバーヒート対処 あるあるですねw昔、油温が上がってオーバーヒートしてるのに、冷却水用のラジエーターに必死こいて水をぶっかけてしまった事は内緒ですw
@@DMF31SI キハ31とかはそうでした、オイルクーラーは別でした!うちの主力車は冷却水のラジエーターの中にオイルクーラー仕込んでありました。上からホースで水ぶっかけても下からボタボタ落ちるころにはお湯になってるくらいだから、水噴霧くらいでは焼け石に水だなと思いますね。
@@オールドタイプ研究所 うちの場合、エンジン冷却用(冷却水&オイル)と変速機冷却用(コンバーター油)の放熱器が同じ形状で左右別に付いているので、あらかじめ覚えておく必要がありました。エンジンが老朽化していたので、シュッシュッシュッと、蒸気機関車を彷彿とさせるような吹き抜け走りをし、ある時は走行中に点検用のヘッドカバーが外れて、ボンネット内がオイルで真っ黒になったりと、今覚えば 相当苦労させられました・・・が、音は最高!! DMF31S(笑)
バスも冷房用エンジンが必要です。日産ディーゼルのバスは、冷房用エンジンにSR20を積んでいました。走り屋御用達に見えるこのエンジンの利点は、オールアルミでとにかく軽いこと。軽量コンパクトで有名な13Bロータリーエンジンがエンジン単体乾燥重量102kgに対して、92kgしかありません。加えて、ラッシュアジャスターによるバルクリのゼロ化がなされており、メンテナンスサイクルが長く、定置用としても優れた設計でした。
現在はバスに冷房用のサブエンジンを積む事が出来なくなりましたよね、環境対策やらで。でもサブエンジン式の方が車内を上手く冷やす事ができます。直結式だと車内の温度にムラが出やすくて調整に苦労します。
板谷峠での立ち往生があまりにも有名ですね。せっかく補機なしを目的にしたのに、また補機のお世話になって。
鉄道車両に水平V形気筒が採用されるのは、床に付けられる点検扉をなくすためだそうです。直列気筒だと点検扉が必須なのですが、扉によって密閉が難しく騒音が発生したようで、対策として水平エンジンが採用されたようです。国鉄末期には、直列気筒が復活したものもありましたが、数量製造されたあとの量産型では水平気筒に戻りました。(キハ37、キハ38)
去年引退したJR九州のハイパワー気動車キハ66、67今から50年前に山陽新幹線博多開業に備えて筑豊地区に新幹線連絡として国鉄が新型気動車キハ66、67を登場させた。エンジンはキハ181系を改良したハイパワーエンジンを搭載し後部の屋根にラジエーターファンと冷却水のパイプとポンプを載せ、そして当時は一般気動車に珍しい冷房付きで一般近郊形気動車と種別しているが普通から快速運用はもちろん急行まで運用出来る用に車内は特急の転換クロスシートを導入しドアの戸袋はロングシートを配した。これは後の京阪神の新快速117系電車に継承される。この豪華近郊形気動車にも欠点があり、ハイパワーエンジンや屋根のラジエーターを積んだ為、車両重量が重くて鹿児島線や筑豊線、篠栗線、日田彦山線、九大線といった第一級甲路線しか走れず、香椎線や勝田線、筑豊各線の軟弱線路は進入出来なかった。そしてオーバーヒートに悩まされた特に夏季は、そしてハイパワーエンジンの故に車内の騒音が酷かった。キハ66と67はペアーを組んでいた。この気動車は使い勝手が悪い為少数しか量産されなかった。国鉄は旧形気動車の老朽化と置き換えにキハ66、67の技術を改良したキハ40系を登場させた。でも車両が重く、エンジンのパワーを半分に落とした為非力で冷房なしだった。JR九州に継承され車体も国鉄急行色からホワイトベースに青帯をあしらった九州色に塗り替えられ、平成4年からコマツのハイパワー軽量エンジンに換装、前のエンジンよりややパワーが落ちたが加速減速が機敏になり音も静かになった。屋根ラジエーターとベンチレーターの撤去で屋根がスッキリとした形になった。2001年に筑豊本線、篠栗線(折尾~桂川~吉塚)が電化されて筑豊の主であったキハ66、67は長崎の大村線に働き場所を移した。やはり老朽化は否めなくキハ200と一緒に大村線を走っていたが廃車が出て、新たなハイブリッド気動車YC1のデビューでついに去年の夏に引退した。
あれ?どこかで見たことがあると思ったら、趣味のバイクの画像とオーバーヒートネタを見た瞬間に「あ、この例え昔ニコニコで見たなあ」と懐かしい気持ちになりました車と鉄道両方ネタ好きとしては今後もみてみたいです
覚えていただいていて嬉しいです!
徳島では非力なキハ40/47の原型エンジン車が現役です。JR四国では急速に2700系に置き換えられている2000系とか、量産化出来なかった2600系JR北海道が断念したけど阿佐海岸鉄道で運用されそうなDMVとか、機会があればぜひ
ついでに このゲテモノ キハ40 2146改 もruclips.net/video/Sdp6VPx6Y_k/видео.html
DC2Rに乗っていますが、撮り鉄乗り鉄でもあります。まさかEKシビックが例えで出て来るとは思いませんでした。これは個人的に考えていた事ですが、屋根上ラジエーターのフィンが進行方向に対して直角(枕木方向)になっているので風が当たりにくく、これがレール方向に向いていれば冷却効率がもっと上がっていたのではないかと思います。因みに最近の特急用気動車はエンジン2基ですが、エンジン自体がコンパクトになって来た事もありますが制御式振り子の場合エンジンの回転トルクを打ち消す(それぞれエンジンの回転方向が逆になるので)役目もあります。
いつかはまかぜに乗りたいと思いつつ引退して乗らずじまいでした。和田山で唸りを聞いてみたかったですねー
↑「はまかぜ」どころか「やくも」まで乗ったオッサン(キサシ180は行きそびれた!)。
キハ181系は大阪駅でよく撮影しました‼️入線から出発までの間、担当車掌区である姫路列車区の車掌さんとよくお話させていただいたのがなつかしいですね🙂
山陽本線加古川駅で爆走通過よく眺めてました✨懐かしい😃
このチャンネル主は、自動車も二輪も鉄道、航空機、船舶って全部の乗り物に詳しいじゃん!
私の伯父(重機のカミンズエンジン専門整備士)に紹介したいです(笑)
初めまして、良い動画をありがとうございます!2基より1基のほうがフリクションが少ないので、燃費が良くなりますよね。
多段変速を採用しているJR世代の気動車についても解説して欲しいです‼︎
キハE120系などのように直結段が4段ある気動車では、トルコンは1段3要素や1段4要素で済むのは、トルコンを使用する変速段は低速域でしか使われなくなったためです。したがって、3段6要素型のトルコンは特別な場合を除いて採用する例は少なくなっています。時速30キロ程度で直結1段に切り替わり、移行は速度域に応じて直結2段、直結3段、直結4段へと段階的に変速します。この仕組みによって、昔の気動車と比較して、より大きな減速比が取れるようになっています。
シフトが2段式の場合は、50km/h位まではトルコンを使いますが、1段3要素のトルコンもあります。3段6要素のトルコンが使われなくなったのは、構造が複雑で効率も悪く、更には変速クラッチが必要で、重量も重くなってしまいます。現在主流の液体変速機のシフト1段目は減速比がかなり大きくストールトルクの小さい1段3要素のトルコンでも液体変速機全体で見ると充分なトルク増幅作用がでます。また、変速クラッチが必要ないので、その分小型にもなります。3段6要素のトルコンが使われなくなったのは、そう言った理由からです
特急おわらで爆走していました!懐かしい
冷却の問題といえばブラバム BT46を思い出してしまうんですが、キハ181系はBT46の10年前だったんだと再認識させて頂きました。謹んでチャンネル登録をば。
当初は名古屋配置で中央西線の名古屋長野間の特急しなので運用されてましたが電化後には高山本線の特急ひだに転用されず余所に転用されました、恐らく名古屋機関区が初期トラブルに懲りたのでしょう。
手のかかるジャジャ馬エンジンですから…適正化の名のもとにデチューンされおとなしくなった後も機関不調連発だったと…☜昭和時代の鉄道雑誌(ジャーナル誌だかダイヤ情報誌だか)に特集されてました☜我が愛媛県西条市は十河信二記念館が有る関係で…☜駅から近い図書館に鉄道コーナーが有ります…☜十河信二氏寄贈本棚や鉄道雑誌バックナンバー棚が有り…☜60年位前からのジャーナル誌やピクトリアル誌…ダイヤ情報誌等が数百冊揃ってます一度お越しくださいませありがとうございます
名古屋機関区がキハ181の特急ひだ導入に対して拒否った話はわりと有名...
そうなの?地元の尾久は優秀だなぁ!?
高山本線は上麻生~下呂間にトンネル多いし全般的に線形悪く、行き違い駅のポイント速度規制も不都合に(爆)ワイドビューひだ85系導入で高速対応ポイントにしたのが証拠やないですか?
一時停止しながら拝見しました。とてもためになります。このような説明欲しかったです。チャンネル登録しました。
キハ181のエンジンがボクサーエンジンではなかったのは初耳でした。
メカニズムの失敗成功はともかく顔面額に誇らしげに掲げる大型ヘッドライトと屋根に背負った物々しいラジエーターが実に威厳溢れる姿で一度見てすぐに虜になったものです。
最近の電気式気動車はエンジン一基にして浮いたスペースに発電機、ハイブリッド車では更に大容量バッテリーを付加、イギリスのクラス800シリーズなどでは交流→直流に変換する設備も付加(但しクラス800はエンジン二基プラス発電機と交直変換設備を搭載する車両の組み合わせ)する事が主流です。
自動車と二輪車の例が多く出て来て大変勉強になりました!12発はロマンですが爆熱だから、12発1機積むなら6発2機がけがメジャーになったんですかねぇ
30ℓディ-ゼルV12エンジンとか、戦車用のパワ-パックだね。
日本の気動車史は、この本がおすすめです。日本の内燃動車(湯口徹)この本でも、国鉄DML30・DMF15系エンジンの問題点が厳しく指摘されています。ただし、DML30・DMF15開発期は、日本の気動車用エンジン需要がほとんど国鉄のみで、非電化私鉄は減るいっぽう、国鉄類似車の僅かな製造しかありませんでした。国鉄以外の新エンジン開発の需要が無かったのです。www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%86%85%E7%87%83%E5%8B%95%E8%BB%8A-%E4%BA%A4%E9%80%9A%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%B9%AF%E5%8F%A3-%E5%BE%B9/dp/4425762010/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8
キハ181系気動車は大馬力ディーゼルエンジン。ツインターボ。屋根にラジエーターを付いています。他の気動車には無い構造なのですね。加速する時に大量に黒煙を掃いて走るのが特徴ですね。構造が複雑です。興味深い。
キハ181はエンジンの始動~予熱に時間がかかったと、「中の人」に聞いたことがあります。でっかいラジエーター「だけ」が原因というわけじゃなかったんですね。ちなみにキハ189は、「一発始動」で手が掛からないとのことです。
私の伯父が重機のカミンズエンジン専門整備士で…昔ながらのエンジンはオイルがシングルグレードで…8時始業なら4時位に…縦割りにした一斗缶に灯油を焚いて(ウエス等を燈心にして)オイルパンの下に設置してやらないと…☜オイルが流動性を失ってて始動不可だったと言ってましたありがとうございます
なるほど。当時でも副燃焼室式のディーゼルは時代遅れだったようですので、その苦労もあったんですかね🤔
80系ボンネット「はつかり」が、故障「ばっかり」と皮肉られて改良したのに、また故障「ばっかり」。鉄道用の大きなディーゼルエンジンの変速機は問題を起こすのは知っています。TZRが持ち出されるとは思わなかった。ポンポンポンって独特なエンジン音の2スト。運転台の後ろの大きなスペースはエンジンだと思っていた。ラジエター。幼い頃、特急白鳥が輝いて見えた。ひだも金沢に行くと見ることができたから、嬉しかったことを覚えています。でも、こんなに問題を抱えていても、白鳥は毎日1000㎞走っていたなんて凄いこと。
ひとつ惜しいところが。先頭車両はフルスペックのエンジンではなく気筒数半分のDMF15エンジンを搭載していました。このエンジンはデチューンしてキハ40系で長らく使われました。
キハ181系は先頭車も中間車も同じエンジンです😋走行用がDML30で、発電用がDMF15のようですね!
ご指摘ありがとうございます。私はキハ183系とごっちゃにしてしまって、かの指摘に至ったみたいです。
過給器付DMF15や、同じ中馬力級(400PSだったかな?)のDMF31系列が改良・搭載されてたらどうなっていたんでしょうね………
もっと言えば、戦前エンジンの試作品や図面があったなら……国鉄設計局が新技術により積極的だったなら……妄想は果てがないですね……
@@RK-sd7hb ストロークの長いエンジンを横型にすると、シリンダー筒内における潤滑油の均一塗布が難しくなるので、今の技術をもってしても厳しいかもしれませんね。(DMF31系列)そう言えば以前、DMF15HSAを300PS仕様に改良したキハ40が九州にいましたが、乗れずじまいでした。悔しいですw
ラジエター、導入側に重きを置かれるのが一般的ですが、排出側の方の経路を確保する方が効果があります。
車のアンダーカバーが大事といいますね。飛行機も冷却の調整は空気出口のフラップでやってたり😎
航空機の5式戦、P51はこの熱膨張を上手く使うことで高性能を手に入れたほどです、水冷でも空冷でも同じです。
蒸気機関車のD51とよく似た生い立ちと活躍ぶりですね。D51も設計ミスと言える軸重不均衡で空転多発、三河島事故の遠因となってしまい、最後までそれは解決できませんでしたが、蒸気機関車としては、需要が逼迫していた時期に登場したこともあり大量生産され、日本のSLの代名詞的存在になりました。
2エンジンが復権しているのは四国、それをベースにした北海道のは振り子車両だからですね。1エンジンだと反動トルクで車体が振れてしまうので2エンジン(当然逆向き搭載)で打ち消しあうようにしています。振り子でない車両もありますが、あとの理由は部品の共通化でしょうね。
おお〜 TZR250 俺も乗ってた 懐かしいなぁ
コレ確か客席の窓も開かないのでオーバーヒートするとエアコン切ってサウナ風呂になってたと聞きます(^_^;)カッコよくて好きなんだけどなぁ
カッコ良ければ多少の不具合なんぞ気になりませんね🥰
@@メカのロマンを探究する会 よくわかってらっしゃるwwwww😃
逆に慣れない下降式一段窓にしたら10系客車や157系(水抜き穴を忘れた)みたいに……
181系が最初に投入されたのは名古屋~長野の中央西線のしなのでしたね。動画内で言ってた通りオーバーヒート頻繁してました(カーブが多く山岳路線だった)しかも先行試作車しかなかったからキハ90を代わりに使ってたそうな中央西線が電化されたからキハ82が走ってた高山線ひだに置き換えようとしたが現場の反対があり、四国に行きましたね四国を走って引退後東海が引き取り美濃太田に留置されてたがリニア・鉄道館に展示され現在に至る
ミャンマーだかの海外発送車両も有りますね…冷房付きで力強く走る☜平坦線をノロノロ走る運用は…老体のキハ181にとって悠々自適の第二の人生(車生)ですね…私は四国住まいで…1972年10月運用開始時からのキハ181ファンですありがとうございます
@@ひめちく そうですね。しおかぜと南風で運用されてましたね。JR化後は四国色になり、美濃太田に留置されてた時も四国色でした。(今は国鉄色)
キハ181系は私も好きでした!もし可能なら、DE50形ディーゼル機関車も解説して頂けませんか?V型16気筒・2000PSの大出力エンジンやハイドロダイナミックブレーキ等が搭載された意欲的な機関車でしたが、状況の変化のため1両しか作られなかった悲運の機関車なので、是非…。
ネタ帳に入れておきます!
@@メカのロマンを探究する会 お願いしますm(_ _)m
ディーゼルエンジンについてる過給機は、基本的にターボチャージャーですなガソリンエンジンと違ってディーゼルエンジンは、ターボラグが発生しないので相性がいいちなみに、ディーゼルカーでエンジンを2基搭載するのは、前後両方の台車を駆動するためですエンジン1基だと片側一方の台車の内側にある1軸しか駆動できず、2軸駆動にするには台車をボルスタレスにしないと推進軸が通らないそうですとはいえ、キハ181系はターボがついてるからマニホが過熱してもそれだけで済むからいいキハ80系やキハ58系はターボがついていなかったので、マニホの過熱が原因で火災事故を起こしましたから
何でDMH30HTじゃないんですかね🤔ノッキングを気にせずにブースト圧を上げられるのがターボディーゼルのメリットですね🤓台車の話、参考になります!勉強のしがいがありそうです。
@@メカのロマンを探究する会 国鉄時代の表記規定で過給機(ターボ)付きがSで、さらにインタークーラー付きがZになっているからですねちなみに、その後のアルファベットはマイナーチェンジの回数だったりします
ディーゼルエンジンでもターボラグは発生しますよ。ガソリンエンジン(オットーサイクル)に比べて小さく回転域が狭いため目立ちにくいだけです。かつてとあるメーカーが大型貨物車やトレーラートラクターの省燃費化とエンジン小型軽量化による搭載量拡大のためエンジン小容積化+ターボチャージャー装着を行った際、ドライバーから「まるで走らないし、言うほど燃費が良くない」と指摘があり、調べたところ発進時や低速からの加速時にアクセルを踏んでも十分な過給がされるまで時間差があり出力が出ていない。出力不足を感じたドライバーが更にアクセルを踏むため燃料が多く供給され燃費が悪化していたということがありました。当時タービンブレード形状は直線的で特定の領域でしか効率が出ないものでしたが、現在は形状が複雑で曲線的です。加えて可変式ノズル付きタービンハウジングのおかげで効率の底上げとタービン加速時間の短縮が可能になっているわけですがラグが「消える」というわけではありません。
キハ181も排気管加熱問題はあったのではなかったでしたっけ?どちらも5ノッチ5分が励行されてたような……勘違いだったらごめんなさい
@@RK-sd7hb 一応80系と58系は5ノッチ(直結段)5分が奨励されています181系はどちらかというと冷却系の問題を、軸重の関係で改善できなかった点ですね
直結段に入らないということは変速段で走り続ける=滑り続けるということ。大排熱量()エンジンをぶん回してもそのエネルギーはトルコンが滑ると結局熱になって冷却水温の上昇を招いてしまう。ここもラジエーターの性能を圧迫したポイントでしょう。
インタークーラー付水平対抗ターボエンジンって、何かワクワクするよね?
つばさが補機無しで板谷峠を越すのが、目的だったんですがね。失敗して、直流を交流電化に改めて、485系に。
東北地方の交流電化が進展すると板谷峠だけ直流で取り残されるから、それなら仙山線の直流区間も合わせて交流に統一する方が得策だからで、つばさの電車化と直流→交流は関係ないですね
チャンネル登録しました。キハ181すごいエンジン音でしたね。
ガリガリガリガリゴォーーー…☜駅出発時…☜通過列車は…キーーーーーン過給音が好き過ぎて通過駅で痺れまくって聴いてました私は四国住まいですので1972年10月の導入時からのキハ181ファンですありがとうございます
@@ひめちく 無論問題点多数なキハ181だがそれでも頑張った
シビックの例えがわかりやすい。
後進のキハ183は寒冷地向けだから熱はそれほど問題にならなかったけど、エンジンバラバラ問題がありますねぇ。
0番台先頭車や中間電源車のキハ184のエンジンはキハ40と同じでしたからね、キハ182に引っ張ってもらう感じでした。
屋根上にラジエーターを持ち上げただけでも、冷却水の流路が長くなり、冷却水の循環でも不利になりそうだし、完全な自然痛風じゃ進行方向に合わせて可動式のエアスクープとかを付けたにしても、風向とかによっては冷却不足になりそうですよねぇ。この車両の事は知らなかったので、最初は昔のレシプロ戦闘機で使われたような表面冷却でもやったのかと思いましたが、さすがにラジエーターは装備してたんですね。床下にトロコイドモーターのファンを付けるんなら、元々のラジエーターに法にと言う訳には行かなかったんですかねぇ?車両限界とかそういった面で無理があったのかなぁ?トロコイドモーターなら温度制御も油圧バルブの開閉で自由になるだろうし、床下にサブのラジエーターつけるよりはスマートなんだけどなぁ。180°のV型12気筒ってフェラーリのエンジンのでっかい奴みたいですよね。動画の途中で出てきたガスタービンエンジンの試験車も確かこの形式の改造車ですよねぇ。
正面から見た感じは似てますが全くの別物です
I do not comprehend, neither what is said, nor how I ended up here. I will say though I am pleased.
181系は整備士泣かせでしたか。うちの地元でも昔、走ってましたが、今は185系に早くから置き換わり、今も現役です。車でいうところのフルモデルチェンジでしょうか。結構早いです。その後、振り子搭載の2000系が出ましたが、シートがセミバケ風で、ここで察しが付く方もいますが、緩いカーブを立て続けに通ると立っていられないくらい激早ですwネットでは気動車のGTと言われてるとか。じゃじゃ馬と言われてる32GT-Rみたいなものかもしれません。
アメリカのRDC気動車とかイギリスの気動車は参考に出来ないのかね。同じ1067mmでも台湾の光華號2700形は181系より軽量なのに
同じエンジンの出力を多少落とした(500→440)キハ66・67コンビは『やかまし過ぎるディーゼルカー』として一部で有名になり結局大成出来ず…基本的にはあの時代の日本のエンジン技術の限界とも言えますなぁちなみにキハ181に搭載されていたトルコン(液体変速機)の設計も不適切で本来なら山登り対策で馬力を上げたはずなのに登坂や初期加速より平坦路を高速でぶっ飛ばす方が得意な設定にしてしまい登坂や起動加速でますますエンジンが熱々になるというオマケ付き…
かといってイギリスの気動車辺りも爆音何処かHSTのあの煙モクモクとかデルティックディーゼル機関の爆音更にやかましかったしな
このエンジン、オーバーヒートでヘッドガスケット抜けが頻発したそうですね!たしか、製造がダイハツディーゼルだったかな?180度V型12気筒エンジンという特異なメカニズムは、搭載が床下ということもあり、決して良い条件での搭載位置では無かったのかな?トルコンの使い方も昔のホンダマチックに近い。今の産業用高速エンジンならば、この排気量の半分以下の排気量と大きさで、これ以上のパワーを発揮出来るのにね!
コスト削減の目的で1つのシリンダーヘッドを3気筒で使ってたので、熱で歪むとガスケット抜けが起こるということだったようですね。1シリンダーで1つのシリンダーヘッドにしたらガスケット抜けは起こらなくなったようです。
シリンダヘッドは高温となる上に、周囲の剛性が高く、強い力がかかる為に塑性変形しやすいと聞いたことがあります。(それが直接的に関係するのかは専門家ではないので判りかねますが……)
後継とも目されるキハ187、189は450ps×2ですから隔世の感がありますね。ここで問題になってる冷却はどうやって克服したんでしょうか。
従来どおりの強制通風のラジエーターにしておけば、大丈夫なんでしょうね🤔エンジン自体の構造が変わって発熱が減ったのもあると思います。
ご回答有難う御座います。山陽本線でキハ181とHOT7000、高山本線でキハ85に乗ったことがありますが、もう背中を押される加速感が全然違いますね!。
自動車で180°V型12気筒エンジンと言えば、FerrariF512Mテスタロッサが有名。
屋根の上のラジエータ、空調との折り合いはどう付けたのでしょうか。
同じエンジン積んでたキハ65はどうだったのだろうか?まつかぜ置き換えの時に九州側がメンテナンスが難しいという事でキハ180系の乗り入れを拒んだそうだがキハ65、66、67のメンテナンスできるのになぜ拒むのだろうか?
試作車両まで作って長期テストをしたにも関わらず何の対策もせず181系を、量産するなんて随分とお粗末ですね。結局苦労させられるのは、現場…😤
その国有鉄道時代のツケが積もりに積もって民営化の憂き目を見ます…国のやることにろくな事がありませんでした…
当時は大出力の特急気動車が待望されてたから焦ったのかもしれない。
@@ひめちく さんまるで、今のオリンピック準備委員会みたいですねっ‼️(^_^;)🤣森のせいで、オーバーヒートしたオリンピックに、どうやって冷まして開催することだろうか?笑
JR時代のキハ181は神戸線区間を新快速に追いつかれないよう逃げ切りつつ非電化ローカル線を走るという特殊な特性から屋根上ラジエーターも功を奏したが、ミャンマーに渡ってからは20~30km/hぐらいの低速で使われていると聞きます…回転数低いから過熱しないだろうけど、屋根上のラジエーターはもう意味はないのだろうか…
別のチャンネルでミャンマーの181の動画を見たら、ラジエーターは撤去されて狭小トンネル対策でクーラー部分の屋根が下げられてました。
キハ181系は最高時速120km/hで、平坦線では電車特急と同じダイヤで走行できるはずですが、実際には車輪直径860mmでエンジンを過回転気味にして達成出来る速度であり、車輪添削で直径が小さくなると当然ながらエンジンをより過回転させないといけなくなります。単純計算ですが定格出力の回転数である1600rpmでは約110km/hしか出せません。勾配区間でも変速段の使用ではトルコンのスリップで定格出力の回転数以上での使用になってたようです。つまり平坦線でも山岳路線でも使いものにならない大失敗作ということになるでしょうね。とはいえ個人的には好きな系列ですが。
A32(132㌔)の速度区分ですが速度計は120迄しか刻まれてません…1600rpmは定格出力ですね…2000rpmの最高出力ですと…出力590PSとか…動輪新品でキックバックノッチ(5分)使用すると…☜時速150㌔に近い数値になります…☜空気抵抗や勾配…曲線制限や分岐制限がある場合は勿論減速しますが…回復運転時は機関士の腕の見せ所で…☜5分と言わず音と振動と勘と経験で機関の限界を探りながらのドキドキ運転だったと…松山気動車区(現松山運転所)OBの指導運転士👮からお聞き致しましたありがとうございます
@@ひめちく 特急つばさ号の時代、板谷での遅れを取り戻す福島-上野間の回復運転では速度計の針は振り切っていたそうで、おそらヌワワKmぐらいに達していたらしいとか言われていました。
車両称号を3桁にして“新系列”を謳ってたんだけどねー。ところでEKシビックは懐かしいなー。
30000Lディーゼルエンジン…夢があるなぁ
キハ181といえば四国最初の特急気動車ですね。
空冷エンジンは空気で冷やしてると思われがちですが、ほぼエンジンオイルによる油冷です。
空冷ポルシェ911のオイル量は驚異の9リッター、エレメントも交換すると驚愕の12リッター。
重い車体を高速で走らす為の水平対向12気筒エンジンは冬は始動しにくく音もうるさかったです。
気動車はてっきりトラックとかバスのエンジン流用してるのかと思ってたら そうでもなかったのかなって調べたら 最近の四国の2700系とかキハ283とかコマツ製なのね アドブルー使ってるのかな?トラックメーカー巻き込んだらオートマも含めて燃費のいい、気動車が出来そうだけども個人的には乗り心地の良いレールバス希望
今の気動車用のエンジンは・・・IHI原動機DMF13HZシリーズ・・・元々船舶用コマツDMF11HZやDMF15HZシリーズなど・・・元々建設機械用・・何ならDD200のFDML30ZはコマツSAA12V140E-3で建設機械用そのものカミンズDMF14HZシリーズ・・・元々トラック用
故くりでんのE/GはUDのバス用だったな。
ディーゼルエンジン含む内燃機関の開発て戦前から日本はあまりいい製品を作れなかった事が要因の一つかなぁ、と思います。意外とアメリカ製の内燃機関の方が故障が少なく扱いやすかった、というのも聞いた事あるます
疑問なのですが、夏期はともかく、冬季では特に寒風が強く吹く日本で、ラジエーターの冷却は追いつかなかったのでしょうか?キハ181のはまかぜだけが最近まで残ったのは何故でしょうか?(キハ181のはまかせに乗れなかった現代人より)
いやいや、貴方の質問に対しては動画内でほぼ説明されていますよ。オーバーヒートが多発したのは夏場ですが、だからといって列車を夏休みさせるわけにもいきません。あの後輩183系(初期型)が寒冷地である北海道限定でありながらも、当初は安定性確保のため181系のエンジンより出力を落としてます。「はまかぜ」の場合、運転距離・列車本数ともに、国鉄時代に酷使されてきた特急運用よりずっと楽でしたから。
久留里線の気動車懐かしすぎる
はへ?まだ走ってるけど…
@@psychedelicraspberry1457 どこでですか?
@@ぎき 久留里線ですよ!
12:28熱風が出てきそう()
いいよねぇ、こういう尖りすぎてる無茶な機械w
本題のキハ181系からは外れますが、7:21 最近の2エンジン回帰について。
私見ですが、一番要因として大きいのがエンジンのコンパクト化・大出力化が進んだ事が大きいのかなと。観光用大型バスでは未だに空調の為に電源用の別エンジンを積んでる車種もあります。それだけサービス電源の問題はなおざりにはできない大きい要因なんですが、カミンズ社やコマツのエンジンを採用し始めた辺りからエンジンのユニット化が進み一つのエンジンユニット(と付属のオルタネーター)で十分な出力と電力が供給される訳ですから空いた床下のスペースを性能アップの為に使おうとなるのは自然な流れですね。
さらに2エンジン化で見逃せないのがエンジン二基を中央に寄せそれぞれ逆向きに搭載することで台車へと延びるプロペラシャフトがそれぞれ逆回転となる事。コレによってエンジンが生み出す反力が解消されることで気動車の振り子機能が初めて実現できた事ですね。エンジン縦置きの車やバイクに乗ってる方ならお分かりかと思いますがアクセルを大きく開けて加速したときなどに車体かどちらか一方に大きく傾く現象が生じます。エンジンパワー発生がもたらす逆作用のイタズラですが、これが解消されることで初めて気動車への自然振り子装置搭載が可能になった訳です。JR四国2000系はその意味で歴史的名車と言えるでしょう。
現在JR東海が電気式ディーゼル特急車の開発を進めてますがこれがディーゼルのトレンド転換になるのかどうかが楽しみです。
もう一つ、2エンジン車は片方がエンジントラブルを起こしても、もう片方が無事なら走れるので、異常の時にも強いんですよ
エンジン自体の高性能化もそうですし変速機も小型多段化が進んだこと、冷房も直結式のものが使えたり編成も電気を喰う食堂車を入れなくなったなど事情も色々ありそうですね。単純に大馬力機関1機にするとパワートレイン全部を強化し専用品にしないといけないので量産品を2個使う方がコスト面でも有利になりそうな感じです。もっとも2エンジン回帰と言っても出力の必要な特急車が2エンジンというだけでほとんどの普通気動車は1エンジンですが。
車好きで鉄道も興味あるから、こういう風に他人に分かりやすく解説できるの羨ましい…
結局国鉄は制式エンジンに拘り過ぎて直噴化・過給機化が遅れて非力なエンジンしか作れなかったんですね。
肉声迷列車とは驚きました。エンジンと変速機の解説が分かりやすかったです。
こういうクルマと鉄道の両方に詳しい方の動画は貴重だと思います。
自分は鉄道好きの先輩に「国道が好きなやつなんて初めて見たわ」とか言われましたが。
(笑)…私の伯父が…重機のカミンズエンジン専門整備士で…☜2級等の整備士検定試験の試験官です…
ドイツカミンズ社のエンジンは…一度輸入時に全バラしてバランス取りしてやらないと黒煙吐いて使い物にならないとボヤいてました
日本のエンジニアの繊細な技術は
世界に誇れると思います
ありがとうございます
@@ひめちく 昔「カミンズ積んでる!」って自慢してた鉄道会社あったなぁ…
昔鉄道好きの酷道好きだったな…ま、要するに全員がそんな奴ではないと言うこと。今は車好きの中でメカ好きになったけど。
大学のとき鉄研だったけど結構クルマ🚗好きいたよ!(当時私は鉄道一筋)
平坦路では速い。しかし平野部は人口も多いので早期に電化されて要らない子になってしまった。
東海道/山陽本線で新快速から必死に逃げる高速通過時の過給機音が最高にカッコ良かった。
まあ新快速自体下手な特急より高速ですし、
最高時速もキハ181の120キロメートルvs新快速の130キロメートル、ですからね。
もっとも私は芦屋駅で遅れていた「スーパーはくと」を新快速が退避する場面に出くわした事がありますがね。
でも、キハ80系よりも長生きしたけどね…
@@psychedelicraspberry1457 あんなポンコツと181系を同列に語ること自体がおこがましい
昔、四国で宇和島から宇和海運用の181系に乗りましたが、気動車がこんなに高速で走行するのに驚きました。
80系の食堂車が附随車キサシ80(電源エンジン搭載)なのは初期製造分だけで、キハ82と同時に走行機関2機関(電源は先頭車から受電)のキシ80に変わってますし、キサシも後にキシ化改造されてます。
初期製造分とは「はつかり」用で、36-10で登場した「白鳥」等がそれ以降です。
18分間、全然長く感じなかったです。自分には分かりやすかったです 👍
ラジエーターについて補足ですが、冷却フィンが枕木方向となっており、走行風が一部のフィンにしか当たらないことも影響したようです。
本来ならばレール方向にして走行風が前から後ろへ抜けるようにしなければいけないのに表面積だけを考えてしまったようです。
ラジエーターですが、根本的に屋根上に放熱器を設置した時点で致命的だったかと思います。
エンジンからの配管が長くなってしまい、冷却水の流量不足に悩まされたそうです。(エンジン換装前のキハ66・67も同様)
結局、床下の放熱器をメインで使用し、水温が70度以上になると屋根上の放熱器で冷却を行なっていました。
ですが、見た目はかっこいいので私的には評価は高いですw
夢中で見てしまった。男はこういう話し好きだからな。
東北本線を485・583系と全く同じダイヤで爆走し、そのまま急勾配の板谷峠を登る運用をやったものだからキハ181時代のつばさは故障が多発して板谷峠の自力走行を諦めて補機運用を復活させました・・・そして、中央東線急行完全電車化で捻出されたキハ65の受け入れを秋田区が拒否(DML30系エンジンに苦しめられたトラウマから)し、そのお蔭で出羽・おが・ざおうが廃止まで非冷房車オンリーになったという結果も生んだと。
で…☜キハ181とキハ65は仲良く四国に来て…☜整備士の手を焼き続けることになりました…
適正化の名のもとにデチューンされおとなしくなった後も機関不調連発で…☜山岳路線の土讃線(当時土讃本線)に導入された後…☜キハ185や2000系気動車…2700系気動車と…☜のちの後続車両開発の反面教師となりました…
ありがとうございます
板谷峠を自転車並みの速度で登るキハ58の急行に乗ってみたかったですね。(*´・ω・)
@@クモハ165 板谷の33パーミル登りで、キハ58系ざおう「キハ58✕4両+キロ28✕1両+キハ28✕1両」では速度計の針は18Kmに貼り付いていました。
下りになると一気に65Kmオーバーに。
電化は最後、電化後も急行は非冷房の気動車、単純に奥羽本線山形-秋田間は冷遇されていると思っていた。キハ65を拒否していたとは知りませんでした
子供の頃、つばさで親の実家に帰省する際、福島駅を出た後の登り右カーブで先頭の補機を見るのが楽しみでしたが、こんな裏話があったのですね。峠を過ぎ、米沢盆地に入るとエンジンのうなりがスッと消えて(←これがこの動画でいう「直結」ですね)車内にレールのジョイント音だけが響くのを合図に、家族で降車の支度をはじめたものです。
庭坂の大カーブといわれた所ですね。この辺りから33.3パーミルの登り勾配が峠駅付近まで続き、当時定時運行に苦労された国鉄の方々には申し訳ないけどファン的には一番の見どころでした。自分はもう少し先の新庄でしたが毎年夏休みの一大イベントでした
@@おしげ-b6k 早い時間の上野発ですと、ちょうど昼頃にあのカーブを登り始めるので、当時小4だった兄と二人で食後も食堂車でねばっていたら、ウェイトレスさんにやんわりと退席させられたのも良い思い出です。
凄くわかりやすい説明で面白いです。DC大好きなんでまた観ます。
91系は屋上に油圧ファンを備えて
冷却効率を向上させていたけど181系は
特急用車両なので高速運転に備えて屋根上の重量を少しでも減らして低重心にしたかったのだろうな。
4:48
イメージ画像にあるキハ183系(182形)0番代のDML30HSIが直噴式となっていますが、正しくは予燃焼式の最終型になります。
直噴式に改良されたのは、国鉄最末期にキハ183系500番代へ搭載されたDML30HSJと、インタークーラー装備でキハ182形550番代に搭載されたDML30HZの2機種です。
非力ながら堅実なDML30HSI、現在でも生き残りが走るDML30HSJ、ハイパワー過ぎて炎上したDML30HZ(1両だけ残存)と、キハ183系になった後の続編も見てみたいです。
失礼しました。
これは勉強のしがいがありそうですね!
知識がたまれば続編も🤓
板谷峠を大馬力を駆使して単独で登りきるという発想自体はそう間違って無かったかもしれないですが、悪条件もあり、結局最後の頃には12両から1両減車されてましたね、冷えないラジエター、一応オーバーヒート対策でラジエターに水を噴霧する装置を付いてたようですが、効果は・・。
確かに平坦線を走る分には申し分ない性能でした、発進時の低速域以外は電車より加速してましたし余裕がありました。
技術の進歩は早くて、カミンズ等(実は輸出用にはこちらが使用されていた)より高性能なエンジン積むようになったら
小型の気動車でも300㎰を出してますね。
板谷越えでは、フルノッチ5分という制限が課されたために定時運行が不可能となりキハ80系同様EF71のお世話になる羽目になりました。
中間に組み込まれたキハ181の速度計を見ていると、直線では33パーミルを60Km弱ぐらいの速度で登っていました。
10:22ラジエーター設置ヶ所の1例として古い車両でキハニ5000形ガソリン気動車は両前面上部の2箇所にラジエーターが有って自動車の様に進行方向からの走行風を利用して冷却する様になっていましたね。
キハ181系での反省から、キハ183系は床下ラジエーターに戻ったのだろうな。
キハ181、かっこよかったけど、そんな問題があったのですね。面白い動画でした。
JR化以降エンジンと変速機を交換すればよかったんだろうけど、旧形式車にそこまでするくらいなら新車入れようということだったんだろうね。
他の方も指摘されておられましたが、夏の板谷峠でのオーバーヒート連発で、一両減車のうえ、補機の助けを借りることになりました。当時の鉄道雑誌もその原因を説明しておらず、長年の疑問が解決しました。ありがとうございます。
鉄道のメカニックに踏み込むなんてすっごく面白い動画でした!
キハ181系は迷列車とは思わない🤨武骨な男性的車輌で好きな車輌でした。
最近の気動車がエンジン2基載せになっているのは、車体傾斜装置の影響もあるのかもしれません。2台のエンジンを逆向きに回転させることで、トルクの反作用を相殺することができますので。
子どもの頃、後発で同じエンジンを積んだ183系気動車が440psとデチューンされていたのが不思議でしょうがなかった
昭和50年に製造され福岡県の直方気動車区に配置されたキハ66 67も同系列のDML30HS系エンジンを440psに出力ダウンにしていました、因みに現存の車両はその後エンジン交換されています。
@@ぶの-e8q さん
キハ67系は
「車内で会話が成立しないw」と茶化されてしまうほどうるさかったので
それを特急車輌に載せられる程度には改善した辺りは
当時の国鉄なりにだいぶ頑張ったんだろなぁ…という気はします
うーむ、コレでキサシ181を耐寒耐雪改造して183系組み込み食堂車
確保しようとしたらアンダーパワーになりそうだな。
更にキハ91系量産型急行
キハ151系造った場合
特急型キハ181系と同じ問題だしそうだ
@@corjioono7463
キハ183とキハ184は走行用エンジンが220馬力しかないので、181系と比べてますますアンダーパワー感は否めないでしょうね。
キハ184を作るのを止めて食堂車に発電用エンジンを積めば少しはマシかもしれませんが
キハ183系0番台に求められていたのはスピードではなく、あくまでも全国からかき集められて酷寒地で酷使されていたキハ80系の替わりでありました。
当時の道内は設備由来で主要幹線でも最高速度は内地より抑制されていました。
キハ80系は内地とほぼ同じ仕様で使用した事により、冬季において乗客と乗務員からの苦情は最たるもので、雪が車内に侵入したり、前面貫通路からの隙間風で保温が出来なかったり、窓ガラスからの漏水や水回りのトラブルが頻発でした。
連絡船からの乗り継ぎで渡道する事が庶民では主流でしたので特急列車の需要は大きくキハ80系置き換えは話題になるものの、
キハ181の不具合とそのままでは構造的に持ち込めない酷寒地ならではの環境で進展せず、キハ66/67とキハ40で新系列発動機にある程度信頼性が確保出来た事で漸く実現出来たのです。
スピードを求め始めたのは民営化を控えて国鉄が置き土産で遺してくれた500番台以降ですね。
大変わかりやすい動画でした。
複雑で大変かと思いますがキハ183についてもよろしくお願いします。
鉄道用のディーゼルエンジンの例えでP-51やBf109のエンジン出してくるの好きすぎてチャンネル登録しましたw
僕も車、鉄道、船、飛行機と好きなのでこのチャンネルめちゃくちゃ楽しいです。
この後、キハ65,66,67からキハ183と、DML30系がどのように欠点を克服し、進化していったのかも解説してほしいです。
鉄道と四輪、二輪等他の乗り物に関連付けて説明されてるところがとても分かりやすく具体的で良いですね😊
しかも、VTR FIRESTORMという希少なバイク。
V型の場合、どこにラジエターがあっても、後ろのシリンダーへの冷却は問題になりますね。
250のVTRは、そこそこ売れていたのに、販売店の方が整備しにくいって評判で落ちちゃったとか。
こうやって見ると興味を持っていた若いころをおもいだします。気動車は自動車とダブる所が多く、どうして自動車で確立した技術を取り入れないのかな。と疑問にも思ってたことを思い出しました。楽しい動画でした。
え?18分もあったの。面白くて時間は気になりませんでした。
180度V12はフェラーリの365GT4BB~テスタロッサが積んでますね
あのクルマも巨大なエンジンに苦労したクルマです
ついに来ましたか。
待っていました。
数年前まで鉄道のエンジンを整備してました。DML13HSでしたけどラジエーターが新品の時の性能しか考えてないなーって印象でした。余裕をもって設計してない。夏場の35℃ですぐオーバーヒートで空回転になり力行不能です。駅のホームでは送風機にふたをする形になって全然冷えないので隙間からホースで水ぶっかけてました。
夏場のオーバーヒート対処 あるあるですねw
昔、油温が上がってオーバーヒートしてるのに、冷却水用のラジエーターに必死こいて水をぶっかけてしまった事は内緒ですw
@@DMF31SI キハ31とかはそうでした、オイルクーラーは別でした!うちの主力車は冷却水のラジエーターの中にオイルクーラー仕込んでありました。上からホースで水ぶっかけても下からボタボタ落ちるころにはお湯になってるくらいだから、水噴霧くらいでは焼け石に水だなと思いますね。
@@オールドタイプ研究所
うちの場合、エンジン冷却用(冷却水&オイル)と変速機冷却用(コンバーター油)の放熱器が同じ形状で左右別に付いているので、あらかじめ覚えておく必要がありました。エンジンが老朽化していたので、シュッシュッシュッと、蒸気機関車を彷彿とさせるような吹き抜け走りをし、ある時は走行中に点検用のヘッドカバーが外れて、ボンネット内がオイルで真っ黒になったりと、今覚えば 相当苦労させられました・・・が、音は最高!! DMF31S(笑)
バスも冷房用エンジンが必要です。
日産ディーゼルのバスは、冷房用エンジンにSR20を積んでいました。走り屋御用達に見えるこのエンジンの利点は、オールアルミでとにかく軽いこと。軽量コンパクトで有名な13Bロータリーエンジンがエンジン単体乾燥重量102kgに対して、92kgしかありません。加えて、ラッシュアジャスターによるバルクリのゼロ化がなされており、メンテナンスサイクルが長く、定置用としても優れた設計でした。
現在はバスに冷房用のサブエンジンを積む事が出来なくなりましたよね、環境対策やらで。でもサブエンジン式の方が車内を上手く冷やす事ができます。直結式だと車内の温度にムラが出やすくて調整に苦労します。
板谷峠での立ち往生があまりにも有名ですね。せっかく補機なしを目的にしたのに、また補機のお世話になって。
鉄道車両に水平V形気筒が採用されるのは、床に付けられる点検扉をなくすためだそうです。直列気筒だと点検扉が必須なのですが、扉によって密閉が難しく騒音が発生したようで、対策として水平エンジンが採用されたようです。
国鉄末期には、直列気筒が復活したものもありましたが、数量製造されたあとの量産型では水平気筒に戻りました。(キハ37、キハ38)
去年引退したJR九州のハイパワー気動車キハ66、67
今から50年前に山陽新幹線博多開業に備えて筑豊地区に新幹線連絡として国鉄が新型気動車キハ66、67を登場させた。
エンジンはキハ181系を改良したハイパワーエンジンを搭載し後部の屋根にラジエーターファンと冷却水のパイプとポンプを載せ、そして当時は一般気動車に珍しい冷房付きで一般近郊形気動車と種別しているが普通から快速運用はもちろん急行まで運用出来る用に車内は特急の転換クロスシートを導入しドアの戸袋はロングシートを配した。これは後の京阪神の新快速117系電車に継承される。
この豪華近郊形気動車にも欠点があり、ハイパワーエンジンや屋根のラジエーターを積んだ為、車両重量が重くて鹿児島線や筑豊線、篠栗線、日田彦山線、九大線といった第一級甲路線しか走れず、香椎線や勝田線、筑豊各線の軟弱線路は進入出来なかった。そしてオーバーヒートに悩まされた特に夏季は、そしてハイパワーエンジンの故に車内の騒音が酷かった。キハ66と67はペアーを組んでいた。この気動車は使い勝手が悪い為少数しか量産されなかった。国鉄は旧形気動車の老朽化と置き換えにキハ66、67の技術を改良したキハ40系を登場させた。でも車両が重く、エンジンのパワーを半分に落とした為非力で冷房なしだった。
JR九州に継承され車体も国鉄急行色からホワイトベースに青帯をあしらった九州色に塗り替えられ、平成4年からコマツのハイパワー軽量エンジンに換装、前のエンジンよりややパワーが落ちたが加速減速が機敏になり音も静かになった。屋根ラジエーターとベンチレーターの撤去で屋根がスッキリとした形になった。
2001年に筑豊本線、篠栗線(折尾~桂川~吉塚)が電化されて筑豊の主であったキハ66、67は長崎の大村線に働き場所を移した。やはり老朽化は否めなくキハ200と一緒に大村線を走っていたが廃車が出て、新たなハイブリッド気動車YC1のデビューでついに去年の夏に引退した。
あれ?どこかで見たことがあると思ったら、趣味のバイクの画像とオーバーヒートネタを見た瞬間に「あ、この例え昔ニコニコで見たなあ」と懐かしい気持ちになりました
車と鉄道両方ネタ好きとしては今後もみてみたいです
覚えていただいていて嬉しいです!
徳島では非力なキハ40/47の原型エンジン車が現役です。JR四国では急速に2700系に置き換えられている2000系とか、量産化出来なかった2600系
JR北海道が断念したけど阿佐海岸鉄道で運用されそうなDMVとか、機会があればぜひ
ついでに このゲテモノ キハ40 2146改 も
ruclips.net/video/Sdp6VPx6Y_k/видео.html
DC2Rに乗っていますが、撮り鉄乗り鉄でもあります。
まさかEKシビックが例えで出て来るとは思いませんでした。
これは個人的に考えていた事ですが、屋根上ラジエーターのフィンが進行方向に対して直角(枕木方向)になっているので風が当たりにくく、これがレール方向に向いていれば冷却効率がもっと上がっていたのではないかと思います。
因みに最近の特急用気動車はエンジン2基ですが、エンジン自体がコンパクトになって来た事もありますが制御式振り子の場合エンジンの回転トルクを打ち消す(それぞれエンジンの回転方向が逆になるので)役目もあります。
いつかはまかぜに乗りたいと思いつつ引退して乗らずじまいでした。和田山で唸りを聞いてみたかったですねー
↑「はまかぜ」どころか「やくも」まで乗ったオッサン(キサシ180は行きそびれた!)。
キハ181系は大阪駅でよく撮影しました‼️入線から出発までの間、担当車掌区である姫路列車区の車掌さんとよくお話させていただいたのがなつかしいですね🙂
山陽本線加古川駅で爆走通過よく眺めてました✨懐かしい😃
このチャンネル主は、自動車も二輪も鉄道、航空機、船舶って全部の乗り物に詳しいじゃん!
私の伯父(重機のカミンズエンジン専門整備士)に紹介したいです(笑)
初めまして、良い動画をありがとうございます!
2基より1基のほうがフリクションが少ないので、燃費が良くなりますよね。
多段変速を採用しているJR世代の気動車についても解説して欲しいです‼︎
キハE120系などのように直結段が4段ある気動車では、トルコンは1段3要素や1段4要素で済むのは、
トルコンを使用する変速段は低速域でしか使われなくなったためです。
したがって、3段6要素型のトルコンは特別な場合を除いて採用する例は少なくなっています。
時速30キロ程度で直結1段に切り替わり、移行は速度域に応じて直結2段、直結3段、直結4段へと段階的に変速します。
この仕組みによって、昔の気動車と比較して、より大きな減速比が取れるようになっています。
シフトが2段式の場合は、50km/h位まではトルコンを使いますが、1段3要素のトルコンもあります。
3段6要素のトルコンが使われなくなったのは、構造が複雑で効率も悪く、更には変速クラッチが必要で、重量も重くなってしまいます。現在主流の液体変速機のシフト1段目は減速比がかなり大きくストールトルクの小さい1段3要素のトルコンでも液体変速機全体で見ると充分なトルク増幅作用がでます。また、変速クラッチが必要ないので、その分小型にもなります。
3段6要素のトルコンが使われなくなったのは、そう言った理由からです
特急おわらで爆走していました!
懐かしい
冷却の問題といえばブラバム BT46を思い出してしまうんですが、キハ181系はBT46の10年前だったんだと再認識させて頂きました。謹んでチャンネル登録をば。
当初は名古屋配置で中央西線の名古屋長野間の特急しなので運用されてましたが電化後には高山本線の特急ひだに転用されず余所に転用されました、恐らく名古屋機関区が初期トラブルに懲りたのでしょう。
手のかかるジャジャ馬エンジンですから…適正化の名のもとにデチューンされおとなしくなった後も機関不調連発だったと…☜昭和時代の鉄道雑誌(ジャーナル誌だかダイヤ情報誌だか)に特集されてました☜我が愛媛県西条市は十河信二記念館が有る関係で…☜駅から近い図書館に鉄道コーナーが有ります…☜十河信二氏寄贈本棚や鉄道雑誌バックナンバー棚が有り…☜60年位前からのジャーナル誌やピクトリアル誌…ダイヤ情報誌等が数百冊揃ってます
一度お越しくださいませ
ありがとうございます
名古屋機関区がキハ181の特急ひだ導入に対して拒否った話はわりと有名...
そうなの?地元の尾久は優秀だなぁ!?
高山本線は上麻生~下呂間にトンネル多いし全般的に線形悪く、行き違い駅のポイント速度規制も不都合に(爆)ワイドビューひだ85系導入で高速対応ポイントにしたのが証拠やないですか?
一時停止しながら拝見しました。とてもためになります。このような説明欲しかったです。チャンネル登録しました。
キハ181のエンジンがボクサーエンジンではなかったのは初耳でした。
メカニズムの失敗成功はともかく顔面額に誇らしげに掲げる大型ヘッドライトと屋根に背負った物々しいラジエーターが実に威厳溢れる姿で一度見てすぐに虜になったものです。
最近の電気式気動車は
エンジン一基にして浮いたスペースに発電機、ハイブリッド車では更に大容量バッテリーを付加、イギリスのクラス800シリーズなどでは交流→直流に変換する設備も付加(但しクラス800はエンジン二基プラス発電機と交直変換設備を搭載する車両の組み合わせ)する事が主流です。
自動車と二輪車の例が多く出て来て大変勉強になりました!
12発はロマンですが爆熱だから、12発1機積むなら6発2機がけがメジャーになったんですかねぇ
30ℓディ-ゼルV12エンジンとか、戦車用のパワ-パックだね。
日本の気動車史は、この本がおすすめです。
日本の内燃動車(湯口徹)
この本でも、国鉄DML30・DMF15系エンジンの問題点が厳しく指摘されています。ただし、DML30・DMF15開発期は、日本の気動車用エンジン需要がほとんど国鉄のみで、非電化私鉄は減るいっぽう、国鉄類似車の僅かな製造しかありませんでした。国鉄以外の新エンジン開発の需要が無かったのです。
www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%86%85%E7%87%83%E5%8B%95%E8%BB%8A-%E4%BA%A4%E9%80%9A%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E6%B9%AF%E5%8F%A3-%E5%BE%B9/dp/4425762010/ref=cm_cr_arp_d_product_top?ie=UTF8
キハ181系気動車は大馬力ディーゼルエンジン。ツインターボ。屋根にラジエーターを付いています。他の気動車には無い構造なのですね。加速する時に大量に黒煙を掃いて走るのが特徴ですね。構造が複雑です。興味深い。
キハ181はエンジンの始動~予熱に時間がかかったと、「中の人」に聞いたことがあります。でっかいラジエーター「だけ」が原因というわけじゃなかったんですね。ちなみにキハ189は、「一発始動」で手が掛からないとのことです。
私の伯父が重機のカミンズエンジン専門整備士で…
昔ながらのエンジンはオイルがシングルグレードで…
8時始業なら4時位に…縦割りにした一斗缶に灯油を焚いて(ウエス等を燈心にして)オイルパンの下に設置してやらないと…☜オイルが流動性を失ってて始動不可だったと言ってました
ありがとうございます
なるほど。
当時でも副燃焼室式のディーゼルは時代遅れだったようですので、その苦労もあったんですかね🤔
80系ボンネット「はつかり」が、故障「ばっかり」と皮肉られて改良したのに、また故障「ばっかり」。鉄道用の大きなディーゼルエンジンの変速機は問題を起こすのは知っています。TZRが持ち出されるとは思わなかった。ポンポンポンって独特なエンジン音の2スト。運転台の後ろの大きなスペースはエンジンだと思っていた。ラジエター。幼い頃、特急白鳥が輝いて見えた。ひだも金沢に行くと見ることができたから、嬉しかったことを覚えています。でも、こんなに問題を抱えていても、白鳥は毎日1000㎞走っていたなんて凄いこと。
ひとつ惜しいところが。
先頭車両はフルスペックのエンジンではなく気筒数半分のDMF15エンジンを搭載していました。このエンジンはデチューンしてキハ40系で長らく使われました。
キハ181系は先頭車も中間車も同じエンジンです😋
走行用がDML30で、
発電用がDMF15のようですね!
ご指摘ありがとうございます。
私はキハ183系とごっちゃにしてしまって、かの指摘に至ったみたいです。
過給器付DMF15や、同じ中馬力級(400PSだったかな?)のDMF31系列が改良・搭載されてたらどうなっていたんでしょうね………
もっと言えば、戦前エンジンの試作品や図面があったなら……国鉄設計局が新技術により積極的だったなら……
妄想は果てがないですね……
@@RK-sd7hb
ストロークの長いエンジンを横型にすると、シリンダー筒内における潤滑油の均一塗布が難しくなるので、今の技術をもってしても厳しいかもしれませんね。(DMF31系列)
そう言えば以前、DMF15HSAを300PS仕様に改良したキハ40が九州にいましたが、乗れずじまいでした。悔しいですw
ラジエター、導入側に重きを置かれるのが一般的ですが、排出側の方の経路を確保する方が効果があります。
車のアンダーカバーが大事といいますね。
飛行機も冷却の調整は空気出口のフラップでやってたり😎
航空機の5式戦、P51はこの熱膨張を上手く使うことで高性能を手に入れたほどです、水冷でも空冷でも同じです。
蒸気機関車のD51とよく似た生い立ちと活躍ぶりですね。
D51も設計ミスと言える軸重不均衡で空転多発、三河島事故の遠因となってしまい、最後までそれは解決できませんでしたが、蒸気機関車としては、需要が逼迫していた時期に登場したこともあり大量生産され、日本のSLの代名詞的存在になりました。
2エンジンが復権しているのは四国、それをベースにした北海道のは振り子車両だからですね。
1エンジンだと反動トルクで車体が振れてしまうので2エンジン(当然逆向き搭載)で打ち消しあうようにしています。
振り子でない車両もありますが、あとの理由は部品の共通化でしょうね。
おお〜 TZR250 俺も乗ってた 懐かしいなぁ
コレ確か客席の窓も開かないのでオーバーヒートするとエアコン切ってサウナ風呂になってたと聞きます(^_^;)
カッコよくて好きなんだけどなぁ
カッコ良ければ多少の不具合なんぞ気になりませんね🥰
@@メカのロマンを探究する会 よくわかってらっしゃるwwwww😃
逆に慣れない下降式一段窓にしたら10系客車や157系(水抜き穴を忘れた)みたいに……
181系が最初に投入されたのは名古屋~長野の中央西線のしなのでしたね。
動画内で言ってた通りオーバーヒート頻繁してました(カーブが多く山岳路線だった)
しかも先行試作車しかなかったからキハ90を代わりに使ってたそうな
中央西線が電化されたからキハ82が走ってた高山線ひだに置き換えようとしたが現場の反対があり、四国に行きましたね
四国を走って引退後東海が引き取り美濃太田に留置されてたがリニア・鉄道館に展示され現在に至る
ミャンマーだかの海外発送車両も有りますね…
冷房付きで力強く走る☜平坦線をノロノロ走る運用は…老体のキハ181にとって悠々自適の第二の人生(車生)ですね…
私は四国住まいで…1972年10月運用開始時からのキハ181ファンです
ありがとうございます
@@ひめちく
そうですね。
しおかぜと南風で運用されてましたね。
JR化後は四国色になり、美濃太田に留置されてた時も四国色でした。(今は国鉄色)
キハ181系は私も好きでした!
もし可能なら、DE50形ディーゼル機関車も解説して頂けませんか?V型16気筒・2000PSの大出力エンジンやハイドロダイナミックブレーキ等が搭載された意欲的な機関車でしたが、状況の変化のため1両しか作られなかった悲運の機関車なので、是非…。
ネタ帳に入れておきます!
@@メカのロマンを探究する会
お願いしますm(_ _)m
ディーゼルエンジンについてる過給機は、基本的にターボチャージャーですな
ガソリンエンジンと違ってディーゼルエンジンは、ターボラグが発生しないので相性がいい
ちなみに、ディーゼルカーでエンジンを2基搭載するのは、前後両方の台車を駆動するためです
エンジン1基だと片側一方の台車の内側にある1軸しか駆動できず、2軸駆動にするには台車をボルスタレスにしないと推進軸が通らないそうです
とはいえ、キハ181系はターボがついてるからマニホが過熱してもそれだけで済むからいい
キハ80系やキハ58系はターボがついていなかったので、マニホの過熱が原因で火災事故を起こしましたから
何でDMH30HTじゃないんですかね🤔
ノッキングを気にせずにブースト圧を上げられるのがターボディーゼルのメリットですね🤓
台車の話、参考になります!
勉強のしがいがありそうです。
@@メカのロマンを探究する会 国鉄時代の表記規定で過給機(ターボ)付きがSで、さらにインタークーラー付きがZになっているからですね
ちなみに、その後のアルファベットはマイナーチェンジの回数だったりします
ディーゼルエンジンでもターボラグは発生しますよ。ガソリンエンジン(オットーサイクル)に比べて小さく回転域が狭いため目立ちにくいだけです。
かつてとあるメーカーが大型貨物車やトレーラートラクターの省燃費化とエンジン小型軽量化による搭載量拡大のためエンジン小容積化+ターボチャージャー装着を行った際、ドライバーから「まるで走らないし、言うほど燃費が良くない」と指摘があり、調べたところ発進時や低速からの加速時にアクセルを踏んでも十分な過給がされるまで時間差があり出力が出ていない。出力不足を感じたドライバーが更にアクセルを踏むため燃料が多く供給され燃費が悪化していたということがありました。
当時タービンブレード形状は直線的で特定の領域でしか効率が出ないものでしたが、現在は形状が複雑で曲線的です。加えて可変式ノズル付きタービンハウジングのおかげで効率の底上げとタービン加速時間の短縮が可能になっているわけですがラグが「消える」というわけではありません。
キハ181も排気管加熱問題はあったのではなかったでしたっけ?どちらも5ノッチ5分が励行されてたような……
勘違いだったらごめんなさい
@@RK-sd7hb 一応80系と58系は5ノッチ(直結段)5分が奨励されています
181系はどちらかというと冷却系の問題を、軸重の関係で改善できなかった点ですね
直結段に入らないということは変速段で走り続ける=滑り続けるということ。
大排熱量()エンジンをぶん回してもそのエネルギーはトルコンが滑ると結局熱になって冷却水温の上昇を招いてしまう。
ここもラジエーターの性能を圧迫したポイントでしょう。
インタークーラー付水平対抗ターボエンジンって、何かワクワクするよね?
つばさが補機無しで板谷峠を越すのが、目的だったんですがね。
失敗して、直流を交流電化に改めて、485系に。
東北地方の交流電化が進展すると板谷峠だけ直流で取り残されるから、それなら仙山線の直流区間も合わせて交流に統一する方が得策だからで、つばさの電車化と直流→交流は関係ないですね
チャンネル登録しました。キハ181すごいエンジン音でしたね。
ガリガリガリガリ
ゴォーーー…☜駅出発時
…☜通過列車は…キーーーーーン
過給音が好き過ぎて通過駅で痺れまくって聴いてました
私は四国住まいですので1972年10月の導入時からのキハ181ファンです
ありがとうございます
@@ひめちく
無論
問題点多数な
キハ181だが
それでも
頑張った
シビックの例えがわかりやすい。
後進のキハ183は寒冷地向けだから熱はそれほど問題にならなかったけど、エンジンバラバラ問題がありますねぇ。
0番台先頭車や中間電源車のキハ184のエンジンはキハ40と同じでしたからね、キハ182に引っ張ってもらう感じでした。
屋根上にラジエーターを持ち上げただけでも、冷却水の流路が長くなり、冷却水の循環でも不利になりそうだし、完全な自然痛風じゃ進行方向に合わせて可動式のエアスクープとかを付けたにしても、風向とかによっては冷却不足になりそうですよねぇ。この車両の事は知らなかったので、最初は昔のレシプロ戦闘機で使われたような表面冷却でもやったのかと思いましたが、さすがにラジエーターは装備してたんですね。床下にトロコイドモーターのファンを付けるんなら、元々のラジエーターに法にと言う訳には行かなかったんですかねぇ?車両限界とかそういった面で無理があったのかなぁ?トロコイドモーターなら温度制御も油圧バルブの開閉で自由になるだろうし、床下にサブのラジエーターつけるよりはスマートなんだけどなぁ。
180°のV型12気筒ってフェラーリのエンジンのでっかい奴みたいですよね。
動画の途中で出てきたガスタービンエンジンの試験車も確かこの形式の改造車ですよねぇ。
正面から見た感じは似てますが全くの別物です
I do not comprehend, neither what is said, nor how I ended up here. I will say though I am pleased.
181系は整備士泣かせでしたか。
うちの地元でも昔、走ってましたが、今は185系に早くから置き換わり、今も現役です。
車でいうところのフルモデルチェンジでしょうか。
結構早いです。
その後、振り子搭載の2000系が出ましたが、シートがセミバケ風で、ここで察しが付く方もいますが、緩いカーブを立て続けに通ると立っていられないくらい激早ですw
ネットでは気動車のGTと言われてるとか。
じゃじゃ馬と言われてる32GT-Rみたいなものかもしれません。
アメリカのRDC気動車とかイギリスの気動車は参考に出来ないのかね。
同じ1067mmでも台湾の光華號2700形は181系より軽量なのに
同じエンジンの出力を多少落とした(500→440)キハ66・67コンビは
『やかまし過ぎるディーゼルカー』として一部で有名になり結局大成出来ず…
基本的にはあの時代の日本のエンジン技術の限界とも言えますなぁ
ちなみにキハ181に搭載されていたトルコン(液体変速機)の設計も不適切で
本来なら山登り対策で馬力を上げたはずなのに
登坂や初期加速より
平坦路を高速でぶっ飛ばす方が得意な設定にしてしまい
登坂や起動加速でますますエンジンが熱々になるというオマケ付き…
かといってイギリスの気動車辺りも
爆音何処か
HSTのあの煙モクモクとか
デルティックディーゼル機関の爆音更にやかましかったしな
このエンジン、オーバーヒートでヘッドガスケット抜けが頻発したそうですね!
たしか、製造がダイハツディーゼルだったかな?
180度V型12気筒エンジンという特異なメカニズムは、搭載が床下ということもあり、決して良い条件での搭載位置では無かったのかな?トルコンの使い方も昔のホンダマチックに近い。今の産業用高速エンジンならば、この排気量の半分以下の排気量と大きさで、これ以上のパワーを発揮出来るのにね!
コスト削減の目的で1つのシリンダーヘッドを3気筒で使ってたので、熱で歪むとガスケット抜けが起こるということだったようですね。
1シリンダーで1つのシリンダーヘッドにしたらガスケット抜けは起こらなくなったようです。
シリンダヘッドは高温となる上に、周囲の剛性が高く、強い力がかかる為に塑性変形しやすいと聞いたことがあります。(それが直接的に関係するのかは専門家ではないので判りかねますが……)
後継とも目されるキハ187、189は450ps×2ですから隔世の感がありますね。ここで問題になってる冷却はどうやって克服したんでしょうか。
従来どおりの強制通風のラジエーターにしておけば、大丈夫なんでしょうね🤔
エンジン自体の構造が変わって発熱が減ったのもあると思います。
ご回答有難う御座います。山陽本線でキハ181とHOT7000、高山本線でキハ85に乗ったことがありますが、もう背中を押される加速感が全然違いますね!。
自動車で180°V型12気筒エンジンと言えば、FerrariF512Mテスタロッサが有名。
屋根の上のラジエータ、空調との折り合いはどう付けたのでしょうか。
同じエンジン積んでたキハ65はどうだったのだろうか?まつかぜ置き換えの時に九州側がメンテナンスが難しいという事でキハ180系の乗り入れを拒んだそうだがキハ65、66、67のメンテナンスできるのになぜ拒むのだろうか?
試作車両まで作って長期テストをしたにも関わらず何の対策もせず181系を、量産するなんて随分とお粗末ですね。
結局苦労させられるのは、現場…😤
その国有鉄道時代のツケが積もりに積もって民営化の憂き目を見ます…
国のやることにろくな事がありませんでした…
当時は大出力の特急気動車が待望されてたから焦ったのかもしれない。
@@ひめちく さん
まるで、今のオリンピック準備委員会みたいですねっ‼️(^_^;)🤣
森のせいで、オーバーヒートしたオリンピックに、どうやって冷まして開催することだろうか?笑
JR時代のキハ181は神戸線区間を新快速に追いつかれないよう逃げ切りつつ非電化ローカル線を走るという特殊な特性から屋根上ラジエーターも功を奏したが、ミャンマーに渡ってからは20~30km/hぐらいの低速で使われていると聞きます…
回転数低いから過熱しないだろうけど、屋根上のラジエーターはもう意味はないのだろうか…
別のチャンネルでミャンマーの181の動画を見たら、ラジエーターは撤去されて狭小トンネル対策でクーラー部分の屋根が下げられてました。
キハ181系は最高時速120km/hで、平坦線では電車特急と同じダイヤで走行できるはずですが、実際には車輪直径860mmでエンジンを過回転気味にして達成出来る速度であり、車輪添削で直径が小さくなると当然ながらエンジンをより過回転させないといけなくなります。単純計算ですが定格出力の回転数である1600rpmでは約110km/hしか出せません。勾配区間でも変速段の使用ではトルコンのスリップで定格出力の回転数以上での使用になってたようです。
つまり平坦線でも山岳路線でも使いものにならない大失敗作ということになるでしょうね。とはいえ個人的には好きな系列ですが。
A32(132㌔)の速度区分ですが速度計は120迄しか刻まれてません…
1600rpmは定格出力ですね…
2000rpmの最高出力ですと…
出力590PSとか…
動輪新品でキックバックノッチ(5分)使用すると…☜時速150㌔に近い数値になります…☜空気抵抗や勾配…曲線制限や分岐制限がある場合は勿論減速しますが…回復運転時は機関士の腕の見せ所で…☜5分と言わず音と振動と勘と経験で機関の限界を探りながらのドキドキ運転だったと…
松山気動車区(現松山運転所)OBの指導運転士👮からお聞き致しました
ありがとうございます
@@ひめちく 特急つばさ号の時代、板谷での遅れを取り戻す福島-上野間の回復運転では速度計の針は振り切っていたそうで、おそらヌワワKmぐらいに達していたらしいとか言われていました。
車両称号を3桁にして“新系列”を謳ってたんだけどねー。ところでEKシビックは懐かしいなー。
30000Lディーゼルエンジン…夢があるなぁ
キハ181といえば四国最初の特急気動車ですね。
空冷エンジンは空気で冷やしてると思われがちですが、ほぼエンジンオイルによる油冷です。
空冷ポルシェ911のオイル量は驚異の9リッター、エレメントも交換すると驚愕の12リッター。
重い車体を高速で走らす為の水平対向12気筒エンジンは冬は始動しにくく音もうるさかったです。
気動車はてっきりトラックとかバスのエンジン流用してるのかと思ってたら そうでもなかったのかな
って調べたら 最近の四国の2700系とかキハ283とかコマツ製なのね アドブルー使ってるのかな?
トラックメーカー巻き込んだらオートマも含めて燃費のいい、気動車が出来そうだけども
個人的には乗り心地の良いレールバス希望
今の気動車用のエンジンは・・・
IHI原動機DMF13HZシリーズ・・・元々船舶用
コマツDMF11HZやDMF15HZシリーズなど・・・元々建設機械用
・・何ならDD200のFDML30ZはコマツSAA12V140E-3で建設機械用そのもの
カミンズDMF14HZシリーズ・・・元々トラック用
故くりでんのE/GはUDのバス用だったな。
ディーゼルエンジン含む内燃機関の開発て戦前から日本はあまりいい製品を作れなかった事が要因の一つかなぁ、と思います。
意外とアメリカ製の内燃機関の方が故障が少なく扱いやすかった、というのも聞いた事あるます
疑問なのですが、夏期はともかく、冬季では特に寒風が強く吹く日本で、ラジエーターの冷却は追いつかなかったのでしょうか?
キハ181のはまかぜだけが最近まで残ったのは何故でしょうか?
(キハ181のはまかせに乗れなかった現代人より)
いやいや、貴方の質問に対しては動画内でほぼ説明されていますよ。
オーバーヒートが多発したのは夏場ですが、だからといって列車を夏休みさせるわけにもいきません。
あの後輩183系(初期型)が寒冷地である北海道限定でありながらも、当初は安定性確保のため181系のエンジンより出力を落としてます。
「はまかぜ」の場合、運転距離・列車本数ともに、国鉄時代に酷使されてきた特急運用よりずっと楽でしたから。
久留里線の気動車懐かしすぎる
はへ?まだ走ってるけど…
@@psychedelicraspberry1457 どこでですか?
@@ぎき 久留里線ですよ!
12:28
熱風が出てきそう()
いいよねぇ、こういう尖りすぎてる無茶な機械w